会社概要
会社名 |
有限会社 森茂八商店 (もりもはちしょうてん) |
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代表者 |
森 清史(モリセイシ) |
所在地 |
店舗 ・ 本社 第二倉庫 ・ 駐車場 畳工場 |
電 話 |
0235-22-2388 代表 |
FAX |
0235-25-2888 |
業務内容 |
◆店舗事業部 |
創 業 |
江戸年間 |
問合せ E-mail |
info@aramonoya.com |
webアドレス |
http://www.aramonoya.com/ |
一般雑貨卸部門・建築物清掃部門・リフォーム部門・飲食部門と、時代に合わせて
変化しながら、鶴岡の町に溶け込む会社になりたいなと思っています。
困りごとがあったら、気軽に相談していただければ幸いです
文政3年(1820年)に神社に奉納した神輿に、店名が刻まれているのが、森茂八商店として正確に年号を確認できる最も古い記録です。
創業年は、はっきりとわかりませんが、明暦3年(1657年)幕府が酒屋株を制定した当時、一日市に存在した酒造「伊勢屋」の傍系とされています。(大正7年の火災で過去帳は焼失しました。)現在の建物は大正の火事から復興した昭和初期の物です
店舗の裏は大判焼きと知恵の輪喫茶です。
第一 第二倉庫 畳材料、内装材料がたくさん入っています
駐車場もこちらです。
(昔藤沢周平さんが就職して通っていた鶴岡印刷跡地です。)
畳作成工場
店内風景
大正8年4月12日午前2時出火の火災により焼失
羽黒街道より奥に東北電力の建物
31棟が焼けたこの火事はランドマークとして有名だったため
「茂八火事」という名称で呼ばれます。史実でも火元も
森茂八商店とされています。
今は亡くなりましたが、大正初期生まれの親戚は当時居住しており
火事の声で叩き起こされ、裏口を開けたら
火の海になっており、「何も持ち出さずすぐ避難しろ」という声で
走って逃げたという事実があり、私達には、
もらい火であること。
「火元と言われたら絶対に否定しなさい」と里帰りのたびに
言い聞かされました。今でも火元疑惑の否定は、家訓として脈々と
森家子孫には伝わっております。
しかし今までのところ、私は誰からもこの話題を振られたことはありません。
結局火元であるという噂が広がったため、周りが復興する前に
新築することができず、昭和初期までパラックで営業を
していたと聞いています。
昭和中期までは、焼け出された保証として小銭を求める知らない人が
たまに訪れていたそうです
私も昭和50年代にどこかのおじいさんが2000円もらいに
いらっしゃたという記憶がおぼろげにあります。
昭和14年頃 復興後
昭和14年頃
freeimagetatami著作者Norio.NAKAYAMA